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富野由悠季の監督術 『聖戦士ダンバイン大事典』ラポートデラックス 富野由悠季 ②

『聖戦士ダンバイン』

インタビュー後半部分になります。
キャラクター描写の難しさを内省的に振り返る形になっており、富野監督のキャラクター論としては本質的な内容のものになっていると思います。

ショウが自堕落になった夜

――視ている方の勝手な思い入れで期待したのは、”正義”の新しい概念が出るんじゃないかな?という部分だったのですが?

新しい概念というのは実はないんですよね。(笑)ただスケベ根性でしてね。本当だったら手に入れたいと思った。僕の中の対応する手立ての狭さでしょうね。まやかしでも別のものを見せることができなかった。

――29話でショウがさんざ紆余曲折したあげくに”正義のため…”と言いますよね。あの瞬間ショウがなかなか頼もしく見えたんですが…

一瞬見える。その部分をなぜ奴が持続できなかったのか。正に当初から作ってきたキャラクターの気性です。僕の場合、それが捨てられないんですよね。結局、彼はそういうふうに言ってみたかったんだ。だけど自分の中の力がなくて持続できなかった人であろう。

――本当にないんですか。

ないんです。嘘つけないのね。一度作り上げたものを軌道修正することは、物語作りと同時に一人の人間の中でも無理だ――という証明の物語になっちゃってね。とってもヒドイこという人がいるんですよ。”だからさ、私はショウが好きなのよ。あの無定見さってとってもナウイじゃない?”という言い方をする人がいる。これはとてもスゴイ悪口なんですよね。だけど多少それも意識しないでもなかったし。

――ショウが生きている現代がそういう人間にしているんでしょうね。「リーンの翼」の主人公・迫水真次郎が降りてきた時(S19年)とは…

天と地ほどの違いがありますね。人間や事態に対する耐久力が根本的に違う。設定からそれがはじまってるんですよ。「ガンダム」のアムロだって同じじゃないか――って言う人もいる。でも全然違うことなんです!アムロは自分の中の価値基準さえ持たないでフワッと事態を受け止めていた。ショウ・ザマは一番いけないところがある。はっきりしないくせにどこかで価値基準を持とうとしていて、結局持ち切れない人でしょ。シリーズとして十五・六話まで行くとショウ・ザマというキャラクターが実在してしまうんです。それは僕には矯正できないことなの。二十九話では”多少キャラクターが変わってもいいからやっちゃえ”ってそれらしいセリフを言わせたんだけど、ダメなんだよね。受け付けないんだよね。だから表面的にシリーズの路線変更はあっても、根本的な構造は変えようがないってことなんです。そういう意味で、今生きているあの種の人種のいこじさというものが見える。逆にそのへんがもっともっとビビットに出てくれば面白かっただろうというのも確かなんです。

――そうですね。

それに関してはまさに作劇の仕方が下手だった。なぜそれが出来なかったのか?といった時に、やはり僕がショウ・ザマという人間が嫌いだったからです。

――今の十代の持っている世代のあり方自体が嫌いなのでしょうか。

それはわからない。僕はそれほど世代という物が膠着しているとは思えないから。100人のミーハーがいれば、四・五人手堅いのがいるから。それほど迂闊には決められない。ただその中でショウなどは、ちょっと程度が悪かったんじゃないのかな。

――そんな男がなぜバイストン・ウェルからの呼びかけに応える力をもっていたのでしょうか。

人すべからく、本来はそうした力があるからです。ただそれがコントロール出来るか出来ないか。自意識として持てるか持てないか。ショウ・ザマは持てなかった。そして作劇的なミスがショウ・ザマという人をあのように決めてしまった、というのも事実です。

――どのようなミスですか?

簡単に言っちゃうと、こうです。第一話でショウが地上から降りて来た時に、圧倒的に過酷な状況であったならよかったんです。あの人、バイストン・ウェルで一晩寝たでしょう。あの間がショウ・ザマを自堕落にしたんです。降りて来た時に完全な戦闘空間にスポーッと入っていたら、弾んだね。

――あれは不思議な感覚でしたね。

不思議だね。なぜ寝かせたのか、僕にもわからないんだよね。それこそ敵味方を順々に見せていくというTVの作り方を投影させて、ショウにその中を上手くくぐり抜けて行かせよう……という穏やかなルートを作った。個人でなく世界を上手く見せようという気分がここにも出てた。考えてみれば最悪の始まり方をしたんだよね。迫水真次郎のようにパッと降りて来た時に刀をつかんでいなけりゃいけなかった。極端な言い方をすればダンバインに乗ってなきゃいけなかった。

――逆にユニークな始まりで面白かったし違和感はなかったんです。

面白いですよ。(笑)ただシャープに入ってなくてフワッとした面白さだったために、一般的にわかりづらかった。ヒロイック・ファンタジーものに憧れていながらその手法を思いつかなかった。今更指摘されるまでもなく失敗です。ただこれだけの失敗をして、メイン・スポンサーが瞑れてさえ49話まで行ってしまった。だからバイストン・ウェルは事実関係として行動している。(笑)モチーフや想い入れはなに一つ間違っていない。ただただCDの富野がアホやったからです。(笑)

日本人としてインターな視野を…

――”日本人”という言い方が何度か出てきますね。

本来とてもインターナ世界のはずですね…インナーと言いかえてもいいけれど…その中で日本人の悟性を上手に出して行きインターに復元できる人間ならば、いい。出来なければバイストン・ウェルにとって拒雑物になっていく。ショウは迫水よりよほど近代的であるはずなのに、むしろ迫水のような特攻崩れの方が人間の悟性としてはインターになっていくパワーを持っている。迫水の方がやっぱり僕にはよくわかるし好きだ。ショウはなまじ変に利口なんだよね。本気じゃないんだよね。

――迫水はバイストン・ウェルでの自分の在り方を認識して戦場の真ん中で恍惚感に浸りましたが、ショウ・ザマはそんな幸福を感じたことがなかったでしょうね。

感じないですよ。過酷な状況を意識しきれるかどうか。ショウのように視野が広がり切っている者と、迫水のように一点集中でダーッと突き進むけどパッと引くという自意識のコントロールが出来る者。迫水の方がインターになれるだろうし。

――ショウはバイストン・ウェルで生きていけるどころか、同じ地上人のマーベルとも触れ合えずに終わってしまいましたものね。

とっても片輪だと思う。でもその部分は、TVを観てる人が反面教師として、ああいうキャラクターをとらえてほしいな。でも女の子でね、”私。アムロよりショウの方が好きよ”っていう人がいるわけ。僕には全然わかんないんだよね。どうしてそんなアホなことが起こるのかね。

――富野さん、最近ではバカな男の子の方が女の子にモテるんですよ。(笑)

それはオジサンとしては困る!(笑)フィーリングとしてはわかるんだけど、とってもわかりたくないんだよね。

悪役列伝

――敵側の方がゼラーナ側のキャラクターより見えやすいんですが、ショットだけははっきりしませんでしたね。

ショットは一番活かさなきゃいけない人だったんだけど、先程言ったような背景の中で活かす間もなく終わった。それだけのことです。ドレイクのかわりになる人だと思ったから。でも、最後の五・六本ですり替え作業をしていくと、結局ドレイクも見えなくなってしまう。仕掛人としてのショットは捨てました。最後の二本ぐらいになるとビショットのあいまいでわかりにくかった原因もわかったし(笑)そうした意味でドレイクは一切合切承知してやってるな、とわかる。すごいな。”一蓮托生は俺が引き受けてやる”ってね。ショットのような賢しいひとを描くより、ドレイクの方が好きだし。

―― 一話の”信心だな”というセリフを聞いた時、”オッこれは富野さんの分身かな?”と思ったんですが。

分身にしたいなと思ったし。ああいう人を描いている方が、僕は生理的に楽だしね。

――従来のライバルに当たる人が、バーンとトッドのふたつに分かれましたけど、両方ともショウより面白く描けていましたね。

ずっと面白い。(笑)ただ視聴者の人達にはすまないと思うけれど、僕はその面白さにまるで興味を示さない人だから。とくにバーンの最期を見ててとても哀しいな、と思ったのは”あいつは本音で生きてるな”ということ。(笑)”騎士の出だ”と言ってみたり、売り言葉に買い言葉なんだろうけれど”何を手に入れた”と言われた時に”所詮狡猾さだ”と言い切った。奴は立派!という気がする。そう言い切れる所まで奴を落としておいて本当によかったな、と思う。落ちていなければ、あのバカなショウのやられ役でしかなかった。それじゃあまりにかわいそうだよね。(笑)だから、あれも好き。(笑)トッドは、出来あがってないもう一つの世代の代表選手なっちゃてね。彼は…やっぱりバカなんだよねえ。ただね、バカが時々利口なことしようとするでしょ。(笑)その部分がとても可愛い。可愛いから好き。(笑)なぜトッドが適役に見えるような位置に行っちゃったのか――という非難は僕のところにも来るしね。だけど一番問題なのは、バカな人が利口なことしようとして失敗することなんだよね。そういう人っていっぱいいるからさ。ああいう生身の生き方は、みなさん方、気をつけた方がいいよってこと。その意味ではトッドもよく動いてくれたし。彼も一度わからなくなった時期があったので、潜伏期間を置いたんです。その間ジェリルやガラリアの方をいじっておいて。アレでトッドが見えるようになったし。よかったですね。

――どうしても男より女のキャラクターの方がよくわかるし、たくましく見えますね。

今回、女の形をいろいろ触ってみようと思ったからね。その部分では女の方がガンバッちゃった。ひどく1983年的だったというか。(笑)本当は男の復権をしたかったんだけど、ダメだねぇ。男ってますます軟弱になってゆく。だからショウより迫水真次郎の方がヒーローだし、奴はエライ!という気がする。(笑)



槍玉に挙がっているショウ・ザマですが、一話で一晩眠ったことによりキャラクターの方向性が決められたというのは面白いですね。完全にコントロールしているはずのキャラクターが取った何気ない行動の一つであったはずが、人物像そのものを規定してしまう。これは富野監督がキャラクター描写において、完璧なコントロールを目指さず、いわば”遊び”の部分を作っておくことの裏返しともとれますね。設定を大変緻密に練り込んでおくことで知られていますが、自身でコントロールできない領域から起こるダイナミズムへの可能性を担保しておく、これが功を奏すか否かですね。ショウの反省を踏まえてか、後のバイストンウェルシリーズでの主人公の行動は趣が違ったものになっています。『ガーゼィの翼』での千秋クリストファはまさに「戦闘空間に」突如召喚され、知力と剣技を生かして生き延びようと奮闘します。『リーンの翼』アニメ版でのエイサップ鈴木は幽閉されることを良しとせず、脱出の末、王女リュクスへの想いを遂げるためオーラバトラーに搭乗する決意を見せます。過去作品の問題点を次へと活かす姿勢は端的に言って謙虚ですね。失敗発言ばかりが冗漫に語られがちですが、クリエーターとして誠実な、あるいは冷徹な戦略論があるといえるのではないでしょうか。(ちなみに近作『Gのレコンギスタ』では、想いを寄せる異性を主人公に撃たれたヒロインアイーダが、悲しみで一晩を明かすと思いきやスヤスヤと安眠してしまうというユニークな描写がありました。その後アイーダは生真面目だけどどこかぬけているという愛嬌あるキャラクターとして描かれており、ショウ・ザマの失敗を逆手に取る妙味のある演出をしています)
敵役の評価はバーンとトッドのビビットな描き方に納得しているところがショウと対照的です。その評価は「あいつは本音でいきてるな」や「彼も一度わからなくなった時期があったので、潜伏期間を置いたんです」といった客観性を持っている、また持とうとしているものですが、これらもキャラクター描写において完璧主義から距離を取る方法論として見ることもできると思います。
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