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富野由悠季の監督術 『機動戦士ガンダム大事典―一年戦争編 (ラポートデラックス) 』安彦良和

『機動戦士ガンダム』

インタビュー収録は1991年のもの。10年以上前の記憶をたどって、自身の関わり方を中心に当時の制作体制を述懐されています。

アニメーションディレクターという仕事

編集 テレビ版『機動戦士ガンダム』という作品では、安彦さんの意向と言うものが、キャラクターの設定だけではなく、物語にも反映されていたと思うのですが?

安彦 あの時の僕の立場というのはアニメーションディレクターと言うものでした。それは僕が創った言葉だったんですが、ただ単に作画監督としてではなく、受け取った絵コンテやプロットに対して異議を申し立てることができるアニメーターのチーフというものだったんです。だから富野さんの演出プランに対して、あるいはシナリオに対しても文句をつけるかもしれないが、それはあらかじめ承認してくれと、当時のプロデューサーだった渋江さんに言いました。あの後、ADと言う名前が定着したかどうかは知らないけれど、当時作画監督といえば直し屋的なニュアンスが強かったので、それでは嫌だと言ったんです。
しかし、実際にクレームをつけたのは1話から10話までの構成案とシャアとザビ家の関係に対してくらいでしたね。
富野さんが描いた構成アンというのは、大変間が詰まっていたというか、盛り沢山すぎて却ってわけが分からなかったんです。だからこそこの構成をちょっと変えたらもっと話数が持つからって富野さんに言ったんです。富野さんは素直に人の話を聞く人じゃないんですけど、5割くらいは聞いてくれましたね。
10話でガルマ・ザビがシャアに謀殺されてしまいますよね。あれは、実は富野プランにはなかったんです。実はシャアとザビ家の関係っていうのはよくわからなくて、でもシャアとガルマの2人っていうのはきっと尋常ではない関わり方をするから、シャアはガルマを殺しちゃうんじゃないかって富野さんに話したんです。それを富野さんが話の中に入れてくれて、その後のストーリー展開で、シャアとザビ家のしがらみみたいなものを、ずっと引きずることになったんです。はっきり富野さんのプランにクレームをつけたのはそのときだけですね。その後、富野プランというのはプロットで出てきたり、絵コンテで出てきたりしたけど、思ったよりも僕自身ノッてやれましたね。これは後は富野さんのやり方にまかせておいていいなと思いました。
後半は僕はご存知のように病気で抜けてしまいましたが、中盤に関しては富野氏の感覚は間違っていないと思いますね。だから各話数については、この話はイマイチなのではという意見が出たときは逆に富野さんを援護するかたちになったと思います。
例えば、アニメーターの人には「この絵コンテは分かりにくいかもしれないけれど、すごくいい絵コンテなんだよ、だからこう表現してくれなきゃだめだよ」と説明したり、「こういうコンテっていうのはとても大事だからこんなふうに思い入れて描こう」とかハッパかけたりしたんですよ。富野さんが何をしたいのかをアニメーターに伝える事で援護射撃をしました。

編集 昔の『ガンダム』というのはインパクトがあっただけじゃなく、画面全体に緊張感があるんです。たとえば「コアファイター脱出せよ」の時にアムロがシミュレーションが何時間で、実戦が何時間でって答えてましたよね。言葉ではそう言っていても、表情を見ると「ああ嘘なんだ」ってわかるように描いてある。これは前もって通達されていなければ出来ないだろうし、画力がない人には描けないだろうと思いました。そういう部分が随分とあったので、スタッフの打ち合わせを密にしていたのではないかという感じがした作品ですよね。

安彦 はっきり言って富野氏と僕はツーカーでしたね。当時は仕事場にスペースがないから、僕が仕事している後ろで打ち合わせをやってるわけですよ。どうしてもそれが聞こえちゃうから、「ああこれはライターとうまく話がいってないな」とかね、「今度の話はあまり面白くなさそうだな」と思いながら仕事してたんです。
ただ、僕と富野氏の間ではそういう意味での話はしなかったですね。というよりする必要もなかった。あの人のやろうと思ったことは全部分かったっていうくらいよく分かったし、ニュータイプ云々を除いては、非常に良く分かった。だからライターと話し合ってて、ああライターだめだな、富野さんのいってること分かってないなとかが、仕事しながら分かってくるんですよ。それがコンテになってくると、これはもう半分富野シナリオですから、そうかやっぱりこうしたかったのかとか、あるいはなかなか面白いじゃないかとか思うんです。僕はそれを今度は絵描きの立場で、どう表現したら話がふくらむだろうと考えていました。いわゆるカンカンガクガクの議論とか、全体的な意思統一とかは必要なかったくらい、お互いに理解していたんです。

編集 そのツーカーというのもお互いの馴れ合いというのではなく、火花が散るような感じがあったのではという気がするんですが。

安彦 馴れ合いじゃないことは確かです。彼は演出で僕は絵描きだけど、作品に対する姿勢は似ているんですよ。要するにマイナーなんですよ。(笑)そういうこともあって考え方が非常に似てたんですよ。だからなぜ『ガンダム』のような作品を創る意欲が出てくるか、分かり過ぎるくらいわかるわけですよ。
以前『ライディーン』という作品を一緒にやった時にお互いに苦労しているし、気心も知れている。その後『ザンボット』でも、あの人のやりたがってる事ってのはわかりましたからね。
だから、『ガンダム』の初期設定の段階では、まだキャラクターアニメの延長という感じでなんとなく考えていたのが、いざ滑りだしてみると、ああ今まで溜まっていたものを富野氏は吐き出しているなっていうのが非常に良く分かりました。
あの頃は富野氏の言いたい事は僕は一番良く分かると思っていました。だからアムロの母親が出てくる13話が良い例ですね。あれなんか絵コンテで言うと、どっちかと言うとつまらないんですよ。だから作画打ち合わせの時にアニメーターさんに、「これは名作アニメになるんだから頑張ろうぜ」って言ったんですよ。その時は作画さんには多分伝わらなかったと思うけど。ああいう絵コンテっていうのは僕は初めて見ましたしね。もらったとき非常に興奮を覚えました。そういう興奮を覚える絵描きは、当時はいなかったと思います。
アニメーターさんには言って」やんなきゃ分かんないし、言っても描けないんなら僕が直すしかないなんて本気で思っていました。
でもね、今イラストを描くために昔の記録全集の絵なんかを見ると僕ってヘタだねぇ。これは僕が全部修正入れたカットだから僕の絵のはずだと思うんだけど、ヘタだねぇ。変だなもっとうまかったはずだけどってね。(笑)でも技巧的なつたなさは別にしても想いのたけは込められたと思います。

編集 「再開、母よ…」は動きで見せる話じゃなくて、内面を見せる話だからあれはもう放映当時から分かっている人が名作って絶賛してましたものね。

安彦 ロボットアニメであんな絵コンテ、演出プランはなかったんですよ、それまで。セリフでこう言ってるけど腹の中は違うよみたいなのはなかったですね。


安彦氏はいまでもアニメーター時代の思い入れのある仕事として最初の『ガンダム』を挙げることがままありますが、設定やドラマにまで介入したことが大きいのでしょうね。シャアとザビ家の関係へのこだわりは、後の安彦氏の仕事である『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を想起させます。
『ガンダム』における富野作劇の成功の要因として、安彦氏のリテラシーの高さは大きいですね。自身が指示を出す原画マンだけでなくライターに対しても不満を持っていた中、ドラマの、いわば翻訳的な仕事を意識したことによって、最終的な受け手である視聴者に演出意図を組み込まれた絵を提供することができたといえます。
富野監督は『ガンダム』以降にも様々なアニメーターと組むことになるわけですが、こと安彦氏を別格にする種の発言が見受けられるのは、傑出した画力もさることながら、この時の特殊な立ち振る舞いに対する評価も含んでいるのかもしれません。
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