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富野由悠季の監督術 『伝説巨神イデオン (ロマンアルバム・エクストラ(48)』すぎやまこういち

『伝説巨神イデオン』

問題作としてアニメ史に記される本作。
凶暴な戦闘描写と業までも描いた人間ドラマが魅力ですが、音楽の特徴としてクラシカルで落ち着いた曲調が多いことが挙げられます。
これは担当されたすぎやま氏なりに本作のテーマを意識しての仕事でした。

『イデオン』を手がけるにあたって富野演説を聞いたのですが、哲学的でむずかしい話でした。舞台は広大な宇宙だけれども、描きたいのは人間なのだと。富野さんの口から流れてくることばを聞くうちに、なぜ人間は存在しなければいけないのかがわかったようなわからないような。でもそれで『イデオン』のイメージは自分なりにつかんだつもりです。
「復活のイデオン」はテーマソングらしい元気のいいものを、という注文でした。でもいかにも子ども向けのガチャガチャしたものにならないように。男性的な、男くささを意識しました。
「コスモスに君と」。これは詩を見ただけで宇宙的な広がりを感じました。「…いつくしみ、ふと…」ここでピンときたのです。この「ふと」にポイントをおいて前後に広がるイメージがすぐ浮かびましたね。だから曲としてはこちらのほうが先にできたのです。宇宙的といっても、冷たいだけでなくヒューマンな色が出るように気をつけました。
『イデオン』は、線香花火のようにぱっと当たってその場限り、ではなく5年後、10年後再上映されても観賞に耐えうる作品だと思います。それに合わせる音楽も古くならないものでなければならない。そうすると必然的にロックよりも息の長いシンフォニックな曲調の方がいい。宇宙的広がりやスケールの大きさを出すにもシンフォニーはぴったりですよ。新たに「交響曲イデオン」もつくったし、いい仕事をやれました。


「舞台は広大な宇宙だけれども、描きたいのは人間」の一文だけ読むと、主題歌・劇伴の発注においてテーマやアプローチを提示するスタンダードな発注にも思えます。しかし、人間の存在価値にまで言及が及ぶとなるとやはり異様な印象を受けますね。無論、音楽に対する技術的見識の問題もあるでしょうが、富野監督の思考プロセスを考えると、世界観やキャラクター設定の初期段階では大変抽象性の高いイメージで構想を練っており、作曲家に対する発注のタイミングとしていわばさらけ出す形でテーマの核を出さざる得ないという事情もあるかもしれません。
「復活のイデオン」での元気のいいものをという注文は、やはり製作サイドとの駆け引きの産物として見るのが妥当でしょうか。
一方、名作の誉れ高い「コスモスに君と」はすぎやま氏が言うように宇宙的な広がりを持っている一方で、

傷をなめあう

乾いた肌

ふれあって

といった肉体性を大胆に混在させる後の井荻隣作詞で散見される手法がみられます。ただ、同時期の作詞で行われている手法ではなく、あくまで萌芽として見るのが妥当かもしれません。
もちろん、すぎやま氏の読解力があったことも”宇宙的広がり”と”ヒューマンな色”を兼ね備える名作になった所以であることは強調しておきたいところです。
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