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富野由悠季の監督術『ターンエーガンダム (Vol.2) ニュータイプ100%コレクション 』星山博之

『∀ガンダム』
1stガンダムにもメインライターとして参加された星山氏。エッジの効いたシナリオが主流になっていた富野作品において氏の温かみのある作風は意外にも心地よく調和していて、「ガンダムはかくあるべし」という頑なな視聴者に新境地を提示してくれました。
インタビューはシナリオ論への言及に終始していますので全文引用をしたいと思います。ご理解いただければ幸いです。

◆最初に生まれたイメージ
――今回、∀に参加された経緯は?
星山博之(以降、星山) まあ、スタートする1年前から新しいガンダムの企画が動いているといううことは知っていて、植田さんの方から一応読んどいてくれといわれて、資料を読んだりもしていたんですよね。最初の案は初期に戻りたいという話で、僕もまたやりたいというのもあったんだけど、富野監督がもうひとつぴったりこなかったらしいのね。僕もマシンで戦うばかりの話はいやで、精神的にも初志に戻りたいというのがあったし。それで富野監督から、一番最初にやったお前だったら今どういう風に料理する?と相談を受けたとき、今の時代には名作というか、ハイジみたいな世界を中に入れたガンダムがいいんじゃないかと話したんだ。主人公が麦畑の中を走るようなね。非常に抽象的な話だったんだけど、そういう絵が欲しい、という。オープニングにその雰囲気が残ってるでしょう?要するに地に足のついた話がやりたかったの。富野監督って、観念的に神様の視点から下を見たようなお話を作っちゃうこともあるけど、僕は逆に、下から見上げた世界の方が好きだから。僕が立ってまわりを見てみたら戦争をしているといいう雰囲気というかね。だから、今回はそういう世界で作りたいな、というのを話して、富野監督ともそれがいい、という話になったんだよね。
――最初は、∀にどういう形で参加される予定だったんですか?
星山 最初はシリーズ構成をとも言われていたんだけど、ちょっとしょいきれないので(笑)。まあ、サンライズだとシリーズ構成がない作品も多いし、富野監督のやりたいものをやってもらうためには、最初の世界観の統一だけしとけばいいだろうな、と。

◆生み出されたキャラクター
――星山さんが作り上げたキャラクターと言いますと?
星山 まずはコレンですかね。何か危ない奴も出てこないと、という話になってはずみで作っちゃった(笑)。とにかく、刑務所で冷凍されていたとか、極悪非道だとかめちゃくちゃな性格のやつ。だから最初は生き残るとは思ってなかったんだけど、どうせ生き延びるなら人が変わるぐらいでちょうどいいだろう。そういうことで『ビルマの竪琴』でもないけど、心を入れ替えたようになってるとしたんだよね。
――リリも星山さんがキャラクターを立てたとお聞きしていますが。
星山 富野監督が女の人3人出すとみんな似ちゃうんだよね。自分では違うつもりなんだけど。だから、脚本家の方で変えていかないとまずい。それで、ソシエはちょっとはきはきしていて、キエルは上昇志向の強いキャリアウーマン的なキャラクターという具合に膨らましていったんだよね。それで、リリは確か12話でグエンをいじめに出てくるのが初登場。すごくいい娘なんだけど、人を平気で傷つける。イヤなやつだけど可愛いという。だって「父が落ち目になったと言ってましたよ」とか普通言わないじゃないですか。相手が一番落ち目になっているときに(笑)。だから、リリはそこまで打算的ではない。でも、そこでなぐさめるようじゃ、逆にいやらしい女になっちゃいますからね。一方、そういう意味でいえばソシエは一番素直だよね。感情で動いているだけだから(笑)。

◆エピソードのエピソード
星山 第1話で、一番心を砕いたのは光とか、草の臭いとかそういうのがほしかったんだよね。もっとも、僕はいつもそういうものだから富野監督に「星山さん、匂いなんか出せないんだ」と言われる。『ファーストガンダム』のときもマチルダさんが通ると、大人のいい匂いがしたっていうのを書いて文句を言われたし。今回の主人公は汗臭い男より、前を通ると石鹸の臭いがする奴というようなキャラクターにしたいなというのも言ってましたしね。
――以前、ロランは素直なアムロだとおっしゃっていましたが?
星山 やっぱり時代というのがあって、あの時のアムロくんはパソコンの世界に入っていたんだけど、自分を主張して出すところがあった。ところがロランはあまり自分を出さないので、心の揺れや何かを表すため、月から一緒に来たキャラクターを2人回りに置いたんだよね。主人公が説明ゼリフを話すのも何だし。だから、最初はキースやフランもそれだけでいなくなるはずだったんだよね。
――とくに苦労したお話というと?
星山 『ザックトレーガー』だね。設定は面白いんだけど、規模がでかくて、そこに行って何をするのかとか見せ方がぜんぜんわからない。設定は面白いからどうしても使おうとするんだけど、ドラマと離れて説明になってしまうところが出てしまってね。そこが一番苦労した。どこに何があるのか頭に入れるので精一杯だったし、端から端まで8千キロメートルもある中で何をするかというのがね。だから、結局4稿までいったしねぇ。あと、最初はロランが月に行く理由がなかったので、第28話でゼノアさんから核爆弾をあずかって、それを捨てに行くという動機づけをしたんですよね。だから、ゼノアとロランの出会いは最初のガンダムのアムロとラルの出会いの大人版みたいな感じを狙ってたんですけどね。

◆∀ガンダムの目指したもの
――∀ガンダムが洗濯出動をしたりしたのも凄かったですが、このあたりのアイデアは?
星山 掻き回せば洗濯機にもなるんじゃないか、というのは富野監督のアイデアでしたね。ショックを受けたガンダムファンも多かったろうけど、昔、ロボットでヘビを捕まえるというアイデアも使ってた人だから。それに、今回のガンダムは戦争に行かない話になっているから。まあ、それでも主人公ロボットだから動かないといけないので、洗濯出動で見せ場を作ったということですね。
――それでは、最後に∀で提示されたものとは何だったんでしょか?
星山 今、僕がやればこういうのがやりたいなというものをちゃんとやらせてくれたから。そういう意味では富野さんとはちゃんと意見が合って、伸び伸び仕事ができたということがあります。要するに科学と進歩は絶対にいいことだけど、人間には自然回帰みたいな、もうひとつ引っ張ているものがあるんです。そこに生じるのは不便なんだけど、不便もまたいいんじゃないか、と。結局、人間と人間がぶつかるといいこともあれば、嫌なこともありますが、今は逃げられるんですよね。だけど現実には嫌なやつも、好きなやつもいる。だから、『∀ガンダム』ではとにかく、人と人とを出会わせてみたいというのがあったんですね。それが何か人に影響を与えていくという。それは何かずっと脚本を書く上でのテーマでしたからね。好きだとか恋だとか。バカバカしいことも人間やるし。でも、生のコミュニケーションさせてみたいな、というのが。富野監督もむしろそれで行こうと言ってくださってね。非常にクラシックな、人間と人間の出会い。そういうのをやりたかったんですよね。ロランが歩くと、回りがいい気分になるとか、そういうのが出せていればいいですね。


癖の強い富野作品のシナリオに対して往々にして批判がなされることがありますが、印象論の粋を出ないものが多く、欠点を分解的に指摘する論評を見ることは稀です。その意味では星山氏の発言はプロの立場での見解として貴重ですね。
80年代から顕著になっていく観念的なドラマツルギーは難解なセリフの応酬を生み、コアなファンを引き付ける一方で広範な支持への妨げにつながっていたことは否めません。星山氏が対立軸として機能したことが本作を「それまでのガンダム」や「それまでの富野作品」から解放させた要因の一つと見ることはできると思います。初期のストーリーメモでは、

「罪を感じない人間なんているかしら?神様という絶対的な者が支配しているという宗教もあるらしいけど、そういう者がいたら、わたくしはそのような者に仕えます」(キエル・ハイム)

「ニュータイプが記憶の消去からはじまっているのは、過去の遺物だからだ。それは無残なことなんだ。そんな無残な人の一部ならぼくもニュータイプだけれど、ぼくは、愛する人の幸せを祈るだけなんですよ」(ロラン・セアック)

「人は天国では暮らせない。少なくとも、男は戦いを知らなければ、女に勝てないのだ!」(グエン・ラインフォード)



等々、大変、観念的なセリフが下地として書かれていました。これらに人の息遣いを感じさせる役割として、星山氏の抜擢は成功といえます。
ちなみに、ここからさらにコンテを切る際に、俗に「富野セリフ」といわれる特殊な言い回しが入ってくることも併せると、監督の中で段階的にシナリオを洗練させていることが言えるのではないでしょうか。まず大枠のプロット作成を経た上で、きわめて直接的にキャラクターの持つテーマを明確化させる。そして、脚本家が日常芝居レベルの会話を充実させ、コンテによる叩き直しを施し、音響現場で映像に合うセリフをふるいにかける。おそらく、これが大筋の流れだと思います。脚本に手を加える監督は珍しくはありませんが、自身の書いたものを再構築することでドラマを作る方法論はかなり異端といえるでしょう。
女性キャラクターのバリエーションの少なさも見過ごせない指摘ですね。富野作品は個性的なキャラクターが織りなす多彩な群像劇が魅力の一つですが、こと女性描写に関しては脚本家の力によるところが大きいことになります。言われてみれば、気丈夫で「男の尻をたたく」ような性格は枚挙にいとまがなく、画一的という批判はプロとしては出てくるところでしょう。その星山氏が出した”第4の女”ことリリはこれまでの富野作品にいないユニークな魅力を備えたキャラクターです。心情を探り合うことを核とした富野ドラマの中に突如現れた天真爛漫さもさることながら、男をたきつけることはなく見限る。星山脚本ではありませんが、最終回でグエンに「アメリアはわたくしがスカートのまま治めますわ」と手を振るシーンも監督十八番の観念論をいい意味で”外した”痛快な描写となりました。
「洗濯出動」はただただ脱帽ですね。玩具のプロパガンダであるロボットアニメではロボットの活躍が義務付けられているわけですが、戦争に消極的な主人公との相反を見事な形で折衷させました。長年ロボットアニメを制作してきた余裕からくる変則技の面もあるでしょうが、発想の自由さはむしろ若々しいです。”石鹸の匂い”のする、すがすがしい傑作エピソードとなりました。
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