記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

富野由悠季の監督術『ターンエーガンダム (Vol.1) ニュータイプ100%コレクション 』

『∀ガンダム』

本書の各話紹介に添えられたコラム「スタッフの視点から」より、指示が明確な箇所や脚本の変遷を伺える箇所を抜粋していきたいと思います。

第1話 月に吠える
物語の発端で川からロランが流れてくるというのがありますね。それで、第一話からヒーローとヒロインの裸が登場したわけですけど、これは富野監督が今回は身体性ということを強調していたせいですね。何でも肌色が見えると人は安心するんだということなんです。また、富野理論的に裸というのは視覚効果とか、お話の中での効果があるんだとも富野監督は言われているわけです。まあ、裸は人知を超えた富野理論というか、富野定説ですね。

第3話 祭の後
まだビシニティからノックスまでひとっ走りとはいかないので、キャラの出し入れに気を使っていましたね。キースがビシニティに来れたのは、飛行船に乗ったからとか、考えているんです。
そこでのキースとロランのやりとりは脚本上では二人の友情の物語みたいな所があったんですが、最初に上がった絵コンテではホワイトドールの説明とかばかりになってしまって。富野監督はシナリオをひととおり読んで頭に入れて絵コンテを描くらしいんで、一字一句シナリオと照らし合わせたりしないんです。「シナリオって極端な話、テーマとお話が一致しているものであれば、ペラ一枚でいいよ。それがぴたっと一致しているものであれば、俺はそれでコンテ切れる」と言って(笑)。でも、ライターの方に何度も直しをお願いして、面白いのを上げてもらってるんですからちゃんと使ってもらわなきゃ。

第4話 ふるさとの軍人
ラストのアジ大佐の死。当初はグエンが手を下して、その場を収めるためにイル長老を自分で殺してお互い様にする予定だったんです。ただ、それだと富野監督が『イデオン』方向に突っ走りそうだったので(笑)みんなで止めてフィルムのようになったんです。ただ、そうした方が、グエンの行動力が出て、後半の悪役になってから辛くならなくてすんだかもしれませんね。

第6話 忘れられた過去
富野さんが誰かにイタリア人は戦争に慣れていて、だからこそ家族と食事を大切にするというのを聞いていて、増援が来たときにはみんなで飯を食ったらいいんじゃないかと宴会シーンになったわけです。

第12話 地下回廊
コレンは最初ここで死ぬはずだったんですよ。それこそ、格闘ゲームでコレンクリアー!!っていう感じで。
ところが、富野監督の前で冗談を言ってたら、生きていたら面白いな、とそっちの方に傾いちゃって。それで、絵コンテではっきりと生きている絵をつくっちゃった(笑)。

まあ、富野監督の前で下手な冗談は禁句ですね。突拍子もないものをやりたがるから、採用されちゃうので。

第15話 思い出は消えて
最後は見せないけど、すごくいやな気持ちにさせる表現で。シナリオではこんな風にやられるとは書いてなかったんですが、コンテがあがった段階で、設定制作の安川が「また監督、きついことやってますよ」「最後の所こんな感じできついんですよ」と教えてくれて。それで身てみたら残酷で(笑)。見せていないから余計残酷で。

第23話 テテスの遺言
ミドガルドは、シナリオだと何本か前から登場しているんです。テテスを動かす上司が誰かいるだろうというのがあって。ただ富野監督が「よくある『007』の親玉みたいなのは何か嫌だなあ」といってコンテで外していたんです。それが今回テテスが利用されるだけされて死ぬという悲劇的なラストということで必要になって、また「キースの工場でしれっといるのは面白いんじゃないですか?』という説がうけて登場となったんです。

第27話 夜中の夜明け
この話は富野監督が奥さんに怒られたんですよ。「展開がきりきりしていて、普通の人にわからないわよ」と。この話、最初は別の人にコンテを頼もうという話もあったんですけど、少し難しいと。色々詰め込んだり、核爆弾から逃げ出すところだけで少し時間を使いたいとか、構想が膨らんだらしくて。それで、自分が描くよとぜ炉から絵コンテを描き始めたんです。けど、やはり富野監督だから電波の出るような展開をしているんですよね。おかげで後になって奥さんに怒られたらしいんです。まあ、電波が出るとまずいんだろうけど、『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』とか、あれに通じるものがあって。普通の人には早くて、難しい。それで、奥さんに「詰め込みすぎちゃダメ」と怒られたらしいんですね(笑)。
まあ、富野監督のフィルムを見慣れている人にはいいんでしょうけど。今回の狙いは、逆に普通の人に見てもらいたい、と言いながら普通の人にわからないフィルムを富野監督自ら作ってしまったというわけですね(笑)。


身体性への言及は90年代半ばあたりから積極的に行われ、作品内の絵面としても度々、裸や踊りが登場することになりました。この演出は他のアニメ作品との差別化はもとより、シチュエーションが作戦会議やコックピット内の通話に集中しがちなロボットアニメにおいて人間的な手触りをドラマに与えることに成功したように思います。それにしても「肌色が見えると人は安心する」というのは色彩心理学の裏付けなどがあったのでしょうか。『富野由悠季全仕事』で本広克行氏に開陳していた舞台の上手下手が心臓の位置に起因するというのも定説というわけではないらしく、あくまで監督の持論にとどまるとしておくのが無難かもしれません。
3話でのシナリオを軽視するかのように見える発言は他でも公言しており、「シナリオはメモに過ぎない」という講演会での発言に鈴木良武氏が反発したエピソードがあります。これに対しての富野監督の弁を挙げておきます。

富野 シナリオを映像化する時に、もうひとつストーリーボードの段階があるというを、シナリオライターも知らなければ、実は実写の映画監督も知らなさ過ぎるんです。演技していくという具体的な作業をしていくと、シナリオというものがある部分解体されざる得ないということを、両者が知らないで映画を作り過ぎています。(略)それはどういうことかというと、「僕は君を愛している」というセリフを、ツーショットのフルサイズで撮るのか、「僕は君を」「愛している」とカットを割るのかという問題があった時、ツーショットのフルサイズだったら、ツーショットのフルサイズだったら、そのまま全て言い下すことができるかも知れない。だけど「僕は君を」でドンとアップになったら、「愛している」という言葉がなくても、役者の顔で表現出来るかもしれないんです。そうすると、そのシナリオのセリフは悪いけども半分消失するかも知れない。だって「愛している」という部分は映像で語らせることができるからです。(以下略)
『富野監督全仕事』より


「映像の出来はコンテで7割決まる」という出崎統監督のディレクションにシンパシーをもつことにも表れていますが、コンテによる映像のコントロールへの信念ですね。そして、氷川竜介氏が”腹芸”と評するセリフに頼らないドラマ作りは斧谷コンテの十八番でもあります。一般的なシナリオ論としては慎重に距離を取る必要があるかもしれませんが、富野作劇において十二分に機能してきたことは言っていいと思います。
そのシナリオ改変でも15話のように悲劇性が増すケースは興味深いですね。ファンの間では『ブレンパワード』をターニングポイントとしてそれまでの退廃的で破滅性の強いドラマ作りとは決別したと思われていますが、実は企画の初期案やシナリオの叩き台の段階において過剰に悲劇的でグロテスクなイメージを見ることができます。たとえば本作の初期稿では数多くのキャラクターが死亡によって退場する凄惨な展開が用意されていました。しかし、本編は爽やかで温かみのあるフィルムに仕上がっています。推測ですが、90年代後半以降のスタイルは自身の作家性をオミットするのではなく、すべてを一度出したうえでいかに公共性と調和させられるかを課題にしているのではないでしょうか。故に、15話の「見せないラスト」などはバランス感覚が生んだ演出として一つの到達点に私には映ります。
奥様の意見が入ってくるのは”らしい”エピソードといえるでしょうか。「普通の人が観れるガンダム」を目指した本作はメガヒットとはいきませんでしたが、今でもフェイバリットフィルムとして名前を挙げる人が少なくないのは、他者の意見を貪欲に取り入れることによって広範な間口を手に入れることができたからだと思います。アニメ好きでない人が好きになれるアニメ、それだけで『∀』は成功作と呼んでも差し支えはないですね。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。