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読むアニメ技術 『「ホルス」映像表現』

巨匠高畑監督が自作を技術面から語る特殊な本です。アニメーション技術というよりは映像としていかにアニメーションの特性を生かしていくかという意識で書かれており、一般的な映像論としても有効です。ときにカメラワークや作画技術はセリフ以上にテーマや人物の心情を語っているときがあることを大変ロジカルに論証されています。
ただ、引用はあくまでもアニメ技術にまつわる箇所にとどめます。

ここに収録した狼との闘いや怪魚退治の場面では、いま日本アニメーションで花ざかりのモンタージュ的手法は全然使われていません。対決する者同士のはげしいカットバックとか、走る狼の足のフォローとか、一閃する斧のクローズアップとか、たしかにリズム感を出すには有効な様々なショットを捨てて、ただただ馬鹿正直にアクションをつないであります。

私もモンタージュ一般を否定するつもりは全然ありませんし、紙にかかれたことを忘れさせ、映像のなかに人を「まきこみ」、没入させる手段として考えた場合でも、あとでふれるようにモンタージュは大変有効だと思います。しかし、実在感を与える、信じられる世界を作る、という点でいえばやはり実写で有効な方法がアニメーションでも有効なのだと思わざる得ません。なぜなら、実在感を与えるためには、ただ「まきこむ」だけでは駄目で、くりひろげられる出来事を「まざまざ」とみつめられるというか、シチュエイションまるごととらえられる視点を観客にのこしておかなければならないからです。いいかえれば、観客を現場に「立合わ」せる必要があるのだと思います。

こういう演出法がアニメーションで成功するためにはなんといっても「みつめる」に値するアクション・演技表情・傍役への目くばりそして存在感のある舞台空間の創造が第一の課題です。いいかえればそれはひとえにひろい意味での作画力に、そしてそれを支える技術力にかかっているわけで、それらをいわゆる「演出的」テクニックでカバーするどころか、むしろ積極k的に裸のままそれらを観客の眼にふれさせる方法であるともいえます。したがってスタッフの負担は大きく、アニメーションの宿命的ともいえる表現力上の制約を考えたとき、それでなくても外的制約の大きい日本アニメーションで、主流がその方向へ進まなかったのは至極当然のことでした。


ここでいわれるモンタージュ的手法とは、複数のカットで構成されたシーンにおいて、カットの内容や順番によってシーンの意味が変わってくるという広義でのエイゼンシュタイン・モンタージュのことです。予算上の制約の大きい日本アニメで主流になっている映像技法ですが、没入できる世界観を作るうえでは限界があるということですね。ちなみに弟子の宮崎氏も「ワンショットといえども、その世界全体を表現するべきものであるべきです」(『アニメージュ・スペシャル 宮崎駿と庵野秀明』より)と、批判的に言及していますが、やはり『ホルス』をはじめとした高畑作品への参加の影響が大きかったのでしょうか。
『ホルス』は後のアニメに使われる技術を開発していた意味でも歴史的作品です。

浦田又治氏の指導のもとに内川文造氏の描いたこの場面の背景は、いったん描いたものを水で洗いまた絵の具をを置くといった手間のかかる「洗い描き」の手法を使っている。洗うことで透けだしてくる紙の地肌を生かしたハイライトが、どこからかさしこむ鈍色の月光を濃紺の岩壁にやわらかくおとしてたいへん美しい。

「洗い描き」の手法は、この怪魚退治の場面とともに氷の城の表現でも同様の色調でもちいている。浦田又治氏はこれ以外にも、岩男のハーモニィ方式、宮崎氏のイメージボードのふんい気を生かすべく設計したお通夜の場面の描法と色調、セル傷雨の実用化、花畑刷筆風な草の表現、崖上から「迷いの森」をみおろした場面で不気味に息づいている森の透過光を生み出すための裏刷りなど、画面効果の開発にきわめて積極的であった。なお、ホルスがヒルダに「迷いの森」へ突き落される直前、ホルスのまわりの白く不気味な地面が崩れはじめて朱の岩肌が露出する6コマ撮りの背景動画も新しい方法であった。


私は本書を読むまでハーモニー処理は出崎統氏の発案だと思っていました。画面全体に効果を施すのが出崎氏オリジナルということでしょうか。

原画の人がいくらいい絵を描いても、それを動画のひとが無神経にトレースしてしまえば絵は簡単にダメになってしまいます。同じように原画の動きの基本設計が正しくても、原画から原画の間をつなぐ動画の入れかたひとつで動きは生きもすれば死にもします。東映動画の長編でゼロックスを全面的に採用したのはこの作品がはじめてでした。たとえば白い氷のマンモスをセルにするにあたり、輪郭線を色線で仕上げるのではなく、黒いゼロックス線のまま使うようなことはまだ一般化していませんでした。このような場合、すべてが均等で隅から隅までつながり合っている線を使ったのでは絵が死んでしまうだけでなく、黒い輪郭線そのものが耐え難く稚拙で鈍重な感じを与えていまいます。強弱やトギレのある原画の線を生かし、なおかつゼロックスコピィしたときの効果を計算しつつ充分に力強い「味」のある線を生み出す。薄田氏や的場氏をはじめとする動画の名手たちが、動画に新たに課せられたこの仕事に黙々と取組んだのでした。また、ゼロックスの普及によってペンによるトレースの仕事はいまや人物のカゲや眼のフチの表現、自然現象などに細々と息づいているだけですが、当時はピリアの婚礼衣装の縫いとり模様を大判セルに「ひきうつ」して微動だにさせない技術がまだ健在でした。


現在のアニメではデジタル処理によって線の均一化が当たり前のように施されていますが、原画のもつニュアンスをいかに一連の作画として生かせるかが課題だった時代において動画マンに求められていた技量が今とは方向性が違うことを示す証言といえます。
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